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高遠菜穂子さんからのメッセージ

アメリカにイラクにおける暴力を止めることを求める
緊急嘆願書への署名にご協力ください。


 私は、イラクのバグダッドで路上生活をする子どもたちのサポートをしてきた
日本の人道支援者で、高遠菜穂子といいます。私のことは、ファルージャ(バ
グダッド西方60キロ)で拘束された最初の女性として覚えておられる方もいるか
もしれません。今からここに記すイラクで起きている恐ろしい事態に耳を傾けて
いただき、この緊急嘆願書に署名をしていただければ幸いです。

 拘束事件後、日本に帰った私は、イラクの友人たちと協力して、米軍の爆撃に
より破壊されたファルージャの学校の再建に取り組み始めました。このプロジェ
クトは「破壊よりも再建を」という信念の元に作られ、空爆による被害者が米軍
への報復のために武器を持たないようにしようという目的があります。

 インターネットは、私がファルージャやラマディ(バグダッド西方120キロ)の友
人たちと連絡を取るための唯一残された通信手段です。ラマディの緊急事態は、
今年の4月に始まっていました。水、食料、電話回線、電気などのライフラインが
断絶され、狙撃兵が町中のいたる所に陣取り動くものすべてを撃っていたのです。
ジャーナリストは逮捕されるか殺され、もしくは取材を許可されていません。
このような状況を広く伝えなければいけない、これは私の責任だと感じるように
なりました。
 
今のラマディは2004年のファルージャ総攻撃のようです。
 
友人たちは、米兵が地元住民に対し蛮行をはたらき、たくさんの子どもたちを殺
していると報告してきます。多くの人たちが町から避難しなければならず、持ち
物はすべて失われている状態です。
 
ここで、友人たちからのメールの一部をご紹介します。
 
「2006年4月9日、子ども2名が米軍の狙撃兵に撃たれて死んだ。1人は7歳の女の子
で、母親と一緒にラマディの中心部にあるアルムスタファ病院に向かっている途
中だった。もう1人は8歳の男の子で、外で友だちと遊んでいた」
 
「2006年4月22日、米軍は、ラマディの端にあるタミームという町に住むあるイラ
ク人一家の家に捜索に入った。捜索が終わると、米兵たちは家にいた男性3名を殺
した。そして、女性1名がその事件のためにショック死した。最終的に、この捜索
の後に4名の民間人が殺されたということだ」
 
また、5月13日の深夜3時には友人の家が米軍とイラク軍に占拠されてしまいまし
た。米兵たちは、友人の家族18名全員を小さくて暑い部屋に入れ、鍵をかけて閉
じ込めました。米兵たちは午前11時頃までいたそうです。その間、米軍の狙撃兵
たちは、2階の子ども部屋を狙撃ポイントとして使用し、壁に狙撃用の穴を開けた
そうです。
 
今月(6月)の12日には友人の兄が亡くなりました。交通事故で負傷し、病院に搬送
途中に米軍の検問所で引き止められ、そのままそこで亡くなりました。米軍のヘ
リコプターが民間の車両をターゲットにしているので、道路が混雑し、結果とし
て交通事故も非常に増えています。友人の兄はひどく出血していたにもかかわら
ず、米兵たちは検問所を通過することを許可しませんでした。しかし、これはめ
ずらしいことではありません。
 
このように、米軍が破壊行為を続ければ続けるほど、民衆は武器を手に取り米軍
への報復に走ってしまう傾向があります。米軍は、そのような人々のことを「テ
ロリスト」と呼びますが、実際には、彼らはもともと善良な市民なのです。私を
拘束した人たちの中には、自分の小さな娘を米軍に殺されたと言って涙を流す人
がいました。
 
このような負の連鎖は、2003年にバグダッドが陥落した直後に米軍がファルー
ジャの学校を占拠した時に始まっています。米軍の学校からの撤退を訴え、自由
と民主主義を求めるピースウォークを行っていたファルージャの住民に向かっ
て米軍が発砲し、12名が殺されてしまいました。なんとも皮肉で、悲しい事件でした。
 
米軍はこの痛ましい暴力の連鎖を止める時に来ました。もし、ここでこのような
破壊行為を止めなければ、ただただ敵を増やしていくことになるでしょう。
 
私たちイラクホープネットワークは、ブッシュ米大統領宛ての「イラクにおける
暴力を止めることを求める嘆願書」を準備しています。みなさまのご協力を賜わ
れれば幸いです。


                       2006年6月25日

                       高遠菜穂子 イラクホープネットワーク








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